娘が一歳二か月の時に東日本大震災が発生。あの時の恐怖は今でも昨日のことかのように覚えています。
ゆれが始まり、テレビやパソコンが消え、止まることのないサイレンはどんどんランクを上げていきました
戦争かというくらいのサイレンに、暖房もなく娘と毛布にくるまりながらどうすればいいのかパニックになる私
電話もつながらない中、最初にかけつけてくれた実家の父。すぐに高台の知り合いの家に避難しました。
その後パパと連絡がつき、合流。もともと住んでいたところは特に津波が来る高さではなかったために帰宅。
実家も大丈夫ということで、その晩は就寝。翌日にも電気や水道は来なかったので、あるもので何とか調理して食べました。
ガスはそう、プロパンだったので焼くことはできたんですよ。水も常備していたもので、ご飯が鍋でつくれたり
津波の被害が・・死者行方不明者が・・ライフラインが・・といろんな情報が飛ぶ中で、長蛇の列の中スーパーに並んで
もう二度と経験したくない思い出だったな・・・。本当に大変だった。子供のおむつ、ミルク、お風呂に入れないつらさ
二週間ぶりに甘いものを食べたときには、涙が出たしなw1歳だった娘も今では10歳。きっと毎年そうやって思いだすんだろうな
もっと備蓄していればよかった、もっと現金持っていればよかった、もっともっとってあの時は思ったものです。
そんな経験をしているから、コロナウィルスでそこまで騒ぐあれでもないような気がしますが・・・
病気と天災はちがうか。でも食料も水もガスも電気もあるし。まだまだ私にとっては平気なラインです。
家にいて、うつらないように予防につとめ、早く終息することを願います。